先週末はかなり厳しい暑さでしたね…
22日(Sun.)、治ったバイク*1で涼しさを求めてひとっ走り*2、笹谷峠のてっぺんまで登ってきました。
駐車場から山形方面を見下ろしながらの記念撮影。
ここからの風景のなかには山形自動車道(写真右半分中央付近の橋です)も美しく映り込みます。双眼鏡かカメラでズームすると緊急待避所*3が見えるのも、高速道路マニアにとってはポイントが高い(?)展望台となっています。
山形自動車道(山形道)は、県境のこの笹谷峠は「笹谷トンネル」で超えていきます。
今日の話題はその「笹谷トンネル」です。
笹谷トンネルについて
仙台市と山形市を結ぶ国道286号、そのうち笹谷峠の区間は狭道・急坂・つづら折りが続く「酷道」です。
笹谷トンネルは、その区間のバイパスとして1981年に開通しました。このとき掘られたのは今の上り線(宮城方面)のトンネルで、片側1車線の対面通行となっていました。
その後、山形道が1990年に宮城県側(現在の笹谷IC)に、翌1991年に山形県側(同、関沢IC)に繋がり*4、さらに2002年には今の下り線(山形方面)専用トンネルが掘られ、4車線化がなされました。
両端とも坑口は、旧道となった峠越え一般道のすぐそばにあり、そこそこ近くから眺めることもできます。
ところで、この付近は「旧道のみ→笹谷トンネル開通→山形道と接続」という経過を辿っています。
勘の良い方やマニアの方はここでお気づきになったかと思いますが、少なくとも2回は道路の形が大きく切り替えられているとみられます
道路切替の痕跡を探しに ~ツーリングついでの現地調査
その痕跡、もしかしたら残ってたりしないかな…?
というわけで、冒頭でお話した小ツーリングの道中バイクを停めて見物してみました。
笹谷ICから峠方面に少し進んだ地点。ここに停めて、
この辺には、それっぽい痕跡は見当たりません。道路端すぐまで山形道の盛土が迫っており、古い構造物は撤去されたかあるいは盛土の下に眠っているのでしょう。
しかし、道路の形と舗装には怪しげな様子が残っていました。
この写真を見ると、まっすぐ延びていた(右写真橙線)のを無理矢理左に振ったようにも想像できます。また、舗装の継ぎ目(右写真白丸内。というか単なるヒビか?)もカーブに逆らってまっすぐ伸びています。
ちょっと先に進むと、今度は“カーブした打ち継目”が残っています。
かつては継ぎ目に沿ってカーブしていたのでしょうか…?
この辺りでは、それ以上に怪しいものは見当たりませんでした。満足したので撤収し、山頂で涼んでから暑い家に帰りました。
机上調査
国土地理院の『地図・空中写真閲覧サービス』で答え合わせを試みました。
宮城側上空からの空撮画像。いずれも写真左上隅付近が笹谷トンネル宮城側坑口です。
まず、1976年のトンネル工事中の空中写真と、1983年の開通後の写真。
赤矢印で示すように、76年の写真には工事スペースが、83年にはその場所に料金所が写っています。峠(トンネル)までの道路も、76年時点では細く折れ曲がっていたものが、83年の写真では料金所から直線的に太く伸びる新道に切替えられたことが確認できます。このタイミングでまず1回、大々的に改良したのですね*5。
なお山頂方面への旧道は青矢印のところから伸びています。
次は1988年の写真。
山形道を延ばしてくるためと思われる用地が、道路脇に確認できます。この時点では、83年から線形は変わってないように見受けられます。
そして1993年、山形道と直結した後の写真です。
緑矢印で示したのが笹谷ICで、国道286号から笹谷トンネルへの入口はこちらに移りました。赤矢印付近にあった料金所は、そのスペースを残して取り壊されています。
また山形道は、旧道に近い側の2車線(今の下り線)を使用して対面通行としているように見えます。すなわち、この時点で現在の旧道の線形や、旧道と山形道との位置関係は完成していたことになります。
この写真と83年の写真を見比べて、2点ほどわかることがあります。
一つは山頂方面への旧道。赤線でなぞったように、きれいさっぱり変わっています。現地で見たように、昔の線形の痕跡はありません。
ということは、この写真
で述べた“カーブした打ち継目”の見立てはハズレだったようです。
二つ目、黄枠周辺を拡大してみましょう。
旧々道っぽい線を黄線でなぞってあり、その位置関係から、無理矢理ではありますが両写真の赤点が同一場所であると推定しました。この赤点は右写真では、この写真
を撮った場所に相当します。
83年の写真を見るに、赤点からある程度直線的に道が走っており、今の現地写真のように急には反れていません。やはり、現地写真橙線のとおり車道はまっすぐ延びていたものと考えられます。
また現地写真をよく見ると、カーブ手前まではコンクリート舗装、奥はアスファルト舗装と切り替わっています。旧道を新ルート(??)へ付け替えるときに舗装の種類が変わった、という想像もできます。
おそらく、これらが数少ない「道路切替の痕跡」でしょう…。
まとめ
笹谷トンネルが山形道と直結していなかった時代の痕跡は、ほぼ残されていなさそうです。急に反れるカーブが、唯一の名残といってよいでしょう。
…との結論に至るのが、今回の調査ではやっとでした。もし、このあたりの移り変わりを覚えていらっしゃるとか、写真をお持ちであるとか、ここに資料があるとかご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです。
あと、当然のことながら山形側にも出口はありますね…
そっちの調査はまあそのうち(調べて満足して終わりそう)(どうせ書かない)(書けと言われれば書くかも)