蔵王山麓ゆるく往く

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「くりでん」から辿る宮城れーるとりっぷ ~後編:くりでん → 細倉鉱山 → ???~

前回のあらすじ:

zaoukama.hatenablog.jp

 

先日開催された、4コマ漫画『初恋*れ~るとりっぷ』と『くりでんミュージアム』とのコラボ企画展。

前編で、その観覧記をお送りしていました。

後編では、くりでん を起点に関係性が繋がっていく、『初恋*れ~るとりっぷ』にも登場した ”聖地(?)” のいくつかを、順に紹介していきます。

 

 

1.くりはら田園鉄道

くりはら田園鉄道は、宮城県北部 石越駅~細倉マインパーク駅 を結ぶローカル私鉄でした。石越駅で、東北本線と接続していました。

 

くりはら田園鉄道の起こりを辿ると、”栗原軌道”として最初の区間が開業したのが1921年。その後”栗原鉄道”と社名を改めたのち、1942年に細倉鉱山(後述)まで延伸しました。細倉鉱山への延伸後は、貨物輸送が石越駅*1~細倉鉱山駅、旅客輸送は石越駅~細倉駅での営業となりました。

のちに路線は電化され、1955年には社名も”栗原電鉄”へと変わりました。

しかし、細倉鉱山は1986年に閉山。これに伴い87年から88年にかけて、細倉駅~細倉鉱山駅間と貨物輸送自体が廃止されました。収益の柱だった貨物輸送と、鉱山関係者旅客をここで失いました。
1990年に、鉱山跡地に観光坑道『細倉マインパーク』(後述)が開業し、この観光輸送を獲得すべく、細倉駅を移転し細倉マインパーク駅と改めました。
これらの流れで、細倉地域の路線網は図のように変化しています。

細倉鉱山駅 細倉マインパーク駅 細倉駅

細倉周辺の路線網の変遷。細倉マインパーク駅は、廃止済の細倉鉱山駅までの線路の一部を復活させるイメージで、細倉駅を移転・改称するように設置されました。
地理院地図をもとに作図)

しかしながら既に、地方私鉄の例に漏れずモータリゼーションの煽りを受け赤字経営となっていた栗原電鉄。経営悪化に歯止めはかからず、1993年に第三セクター経営へ移行しました。

1995年には、老朽化に伴い電化設備を廃止し、ディーゼル車による運行を開始しました。ここで社名が”くりはら田園鉄道”となり、2007年の路線廃止まで駆け抜けました。

若柳駅 車庫
若柳駅
2014年2月撮影。くりでんミュージアム開業前の(旧)若柳駅。

 

2.細倉鉱山 ~ 細倉マインパーク

2.1 細倉鉱山

細倉鉱山は、記録の残る限りでは江戸時代から採掘が始まっていたとされ、明治期に入り鉛の採掘が本格化、次いで亜鉛の精錬が開始されました。
第一次世界大戦による亜鉛国内需要の高まり、その後の需要低下・景気低迷による減産など曲折を経て、昭和期からは三菱系列の経営となりました。

三菱の経営下では積極投資がなされ、太平洋戦争を経て高度経済成長期に鉛・亜鉛の算出は最盛期を迎えました。
が、その後は不況や円高により鉱山としての競争力を喪失し、1986年に閉山となりました。

細倉鉱山の閉山後は、しばらく鉛鉱石精錬事業のみ継続*2されるとともに、新たに廃バッテリーからの鉛回収事業が開始されました。現在もなお、後継の企業がバッテリーリサイクル事業ならびに鉱山関連事業を継続しています。

 

2.2 細倉マインパーク

総延長600km以上とも言われる坑道は、その一部が観光坑道として公開されています。
その観光坑道を主体とした史料館・テーマパークが『細倉マインパーク』です。

実際の坑道に残る諸設備に、精巧な模型や人形を配置して、当時の採掘手順や鉱山労働をわかりやすく解説しています。

細倉マインパーク 本館

2016/7/2訪問・撮影。現在の『細倉マインパーク』本館。
左手の三角屋根の建物は後述の資料館。

細倉マインパーク マイン坊や

2014年2月訪問時の、観光坑道の出入口。
中央の人形はパークのマスコット「マイン坊や」。れるとり19話にも出てた彼です。

2016年7月にリニューアルオープン。かつて近隣にあった資料館『細倉鉱山資料館』と統合され、細倉鉱山を総合的に学べる施設となっています。

細倉マインパーク 資料館
細倉マインパーク トロッコ
左:細倉マインパーク内の、現在の資料館。
右:細倉鉱山資料館から移設された坑内軌道車両の展示。
ともに2016/7/2撮影。
細倉鉱山資料館
細倉鉱山資料館 トロッコ
左:閉館直前の(旧)細倉鉱山資料館。手前の車メインの写真ですが…
右:細倉鉱山資料館にて展示されていたころの坑内軌道車両。
ともに2015年11月訪問・撮影。旧 資料館は細倉鉱山の事業所近くに所在してました。

ちなみに”リニューアル前”の展示は、坑道前半は現在と同内容ですが、後半は一変。
れるとり作中(19話)でそらちゃんが受胎していた訪れていたと言う『ホソキュリアン遺伝子受胎』に始まる、やたらスピリチュアルな謎展示がありました。
言ってはナンですが、これのお陰でB級ネタ観光スポット扱いされてた節も…

細倉マインパーク ホソキュリアン 受胎
細倉マインパーク ホソキュリアン
リニューアル前までの展示だった『ホソキュリアン遺伝子受胎空間』
2014年2月訪問・撮影

一応、過去記事でも触れていました。

 

 

3.???

さて、細倉鉱山と直接の関係を持つ ”れるとり聖地” が、仙台市内にもあります。

というか、松島を通り石巻まで伸びています。

 

仙石線”です。

 

 

真・3.仙石線

 

細倉鉱山での亜鉛の精錬のため大量の電力を契約、電力会社に発電所を作らせるまでした所まではいいものの、第一次世界大戦終戦により亜鉛の需要は激減し、電力の契約を大幅に余らせる格好となりました。

色々と手を打ちますがなお電力は余っており、「じゃあ電車走らせるか」と、仙台~塩竈の旅客需要を見込んで ”宮城電気鉄道” が立ち上げられました。

1921年に 仙台~松島 間の免許を取得、翌1922年に石巻まで区間が延長され、同年より着工されました。その後紆余曲折を経て、1925年に 仙台駅~西塩釜駅 間が開業、1928年に石巻駅までの全線開業に漕ぎ着けました。

宮城電気鉄道は1944年に戦時買収・国有化され、国鉄仙石線となりました。

 

このような経緯もあり、仙石線は今なお、東北のJR線では唯一の直流電化路線となっています。

 

なお仙石線については、これまた れるとり聖地(?)の ”東北大学鉄道研究会” が過去の大学祭発表で取り上げています。

aoba-trfc.sakura.ne.jp

サイト中程下部『2012年 大学祭あおば』が仙石線特集ですので、こちらをご一読いただけるとよいでしょう。本節の執筆でも参考とさせて頂きました。

 

おわりに

以上、余りにもざっくりすぎる解説ではありましたが、お読みいただきありがとうございました。

より深く知るためには、やはり現地に赴いて見学するのが一番かと思います。

くりはら田園鉄道については、先のれるとりコラボでくりでんミュージアムを訪れた方も多いかと思います。
もし再訪される機会があったら是非、細倉マインパークまで足を延ばしてみてはいかがでしょうか。。。

くりはら田園鉄道 路線

おおよその位置図。細倉マインパークまでは車でも若柳金成ICから30分ほど。石越駅からは路線バスで70分*3。こうして地図を見ると、くりこま高原駅がくりでんとの交点(薄緑丸のとこ)にあったら、くりでんの命運は変わっていたのだろうか…
地理院地図をもとに作図)

 

*1:1955年以降は、東北本線との直通が可能となった。

*2:のちに精錬事業からは撤退。

*3:執筆時点では栗原市民バス(栗原市サイト)の運行